自分の感覚に従えなかったときの、静かな違和感について
誰かの意見に合わせたり、
世の中の「こうあるべき」に沿って行動したのに、
なぜか心が晴れない。
「正しいことをしたはずなのに、納得できない」
そんな経験、ありませんか?
私はたくさんありました。
ちゃんとやったのに、なんでモヤモヤするんだろうって。
正しいことを選んできた、わたし
小さい頃から、「正しくあろう」と努力してきました。
間違えないように、失敗しないように。
まわりに迷惑をかけないように。
「いい子だね」って言われたかったし、
「ちゃんとしてるね」と思われたかった。
そうして私は、
まわりにとって正しい自分を選ぶようになっていきました。
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感じていた「ちがう気持ち」は、見て見ぬふり
でも、本当はときどき思ってたんです。
「なんか違う」って。
「こっちのほうがしっくりくるんだけどな」って。
でもその声を無視したのは、
「それを選んだら、否定されるかもしれない」
そんな怖さがあったから。
「まちがってる」と言われることが、
何より怖かったんです。
正しさより、いま感じていることを信じる
気づいたのは、
“正しさ”は誰かの基準であって、
わたしの感覚とは違うかもしれないってこと。
どっちが上でも下でもなくて、
「わたしはこう感じてる」ってことが、ただあるだけ。
それを否定せずに、
ただ「そうだね」って受けとめるだけで、
呼吸が少し楽になることもあります。
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わたしに、許していいこと
「私は、こう思う」
「私は、こう感じた」
それを、誰かに説明する必要もない。
誰かに証明しなくても、
それだけでちゃんと“存在している”。
感じてる自分を、そのまま許すこと。
そこから始めてみるのも、悪くないと思うんです。
🕊️ そっと手渡すメッセージ
もし今、「まわりに合わせてるけど、どこか苦しい」
そんな気持ちを抱えているなら。
それは、あなたの中にある静かなサインかもしれません。
「こっちじゃないよ」
「わたしの道は別にあるよ」
そんな声を、どうかそっと拾ってあげてください。
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